F1 パワーフォース
日本人ドライバー列伝
高木虎之介
     F1 日本人ドライバー列伝  高木虎之介(1998-99)  F1パワー・フォース 
ドライバー名
中嶋悟
鈴木亜久里
片山右京
井上隆智穂
中野信治
高木虎之介
佐藤琢磨
スポット参戦
鈴木利男
野田英樹
井出有治
山本左近
76,77年富士
テストドライバー
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高木虎之介 マネジメント力不足と本人の自覚不足で印象なく終わる
日本のジュニアフォーミュラからフォーミュラニッポンをへてティレルテストドライバーとなりシート獲得するも全く期待はずれに終わる。あきらかに1年参戦時期を間違えたといえる。この当時以前にハッキネンがマクラーレンとセナの契約交渉がうまくいかなかったときの影響を受けた時に1年間ポルシェカップで走りシートがあるにも関わらず他人の契約に巻き込まれた影響をうけたにも関わらず復帰を成功させた時の悪影響をマネジメント側が思わず真似をしてしまったことが影響したのだ。。1年早ければサロもしくはフェルスタッペンとのコンビ。実力証明ができたはずだし、まだティレルのマシンでも入賞の可能性もあったはず。その逆に1年遅く乗っていればアロウズのエンジンはスーパーテック(ルノーカスタマー)だった。マネジメントの失敗が高木を潰したとも言える。ただし本当の一番の問題はフォーミュラニッポンのタイトルもとれずに(下位カテゴリーでのタイトル無しで)F1に行ったということなのかもしれない。
とてつもなく速いがドライビングの安定性のなさはどこか根本的なドライビングの問題を示唆している。
そして彼の失敗はこの後の日本におけるF1暗黒時代を招く事、フォーミュラニッポンの評価減につながることとなる。
そして1998年。 ティレル・フォードで参戦。予選でいきなり13位。物凄い期待を抱かせる。
しかしラルフ・シューマッハーがコースアウト時に撒き散らされた砂利に乗りそのままリタイア。そしてこのドライバーのセンスのなさを証明してしまう。他のドライバーであればこの砂利をひろうことなくくリタイアしていないだろうという状況が読み取れたからだ。その後第3戦アルゼンチンでまた予選13位となるがあとは下位に沈む。チームは翌年BARとなることとなる状況。売却せざるを得ないチームでは開発もあるわけないし、
どうしてこんな車にわざわざ乗るのかとマネジメントのセンスのなさを声を大にして非難したくなる。
この時の判断の悪さが最後まで彼の運命に重くのしかかっていくことになる。
R 開催国 サーキット ベストL 決勝 周回 リタイア理由
1 オーストラリア メルボルン 22 13 16 1 コースアウト
2 ブラジル インテルラゴス 22 17 15 1’23.226 R 19/71 エンジン
3 アルゼンチン ブエノスアイレス 22 13 12 1’31.057 12 70/72 完走
4 サンマリノ イモラ 22 15 10 1’32.430 40/62 エンジン
5 スペイン カタルーニヤ 22 21 13 1’28.066 13 63/65 完走
6 モナコ モナコ市街地 22 20 11 1’26.506 11 76/78 完走
7 カナダ ジル・ビルヌーブ 22 16 0/69 トランスミッション
8 フランス マニクール 22 20 13 1’20.299 60/71 エンジン
9 イギリス シルバーストン 22 17 9 1’41.629 9 56/60 完走
10 オーストリア A1リンク 22 20 0/71 アクシデント
11 ドイツ ホッケンハイム 22 15 13 1’48.608 13 44/45 完走
12 ハンガリー オンガロリンク 22 18 14 1’22.495 14 74/77 完走
13 ベルギー スパ 22 19 10 2’12.327 10/44 スピン
14 イタリア モンツァ 22 19 9 1’27.726 9 52/53 完走
15 ルクセンブルグ ニュルブルク 22 19 13 1’23.392 16 65/67 完走
16 日本 鈴鹿 22 17 13 1’45.673 28/51 アクシデント
1999年
アロウズよりフル参戦する。この当時のアロウズは超非及び超低予算のチームであった。
かつ撤退も噂になっていたチーム(その後チームは破産する)
ここで駄目であれば将来が厳しくなるシーズンにおいて第1戦は7位。6位は当時の同僚のペドロ・デラロサ。このレースでの高木は入賞の可能性もありながらも自らが途中コースアウトすることにより入賞を逃し、そして自分自身の運命もほぼ決めてしまった。この時のアロウズチームのひどさで、2年目の新人にすぎなかった彼にセッティング能力が期待できるわけでもなく、その上にチームはアフリカの謎の王子に騙されボロボロ。当然彼はリタイヤの山を築きシート喪失していく。

R 開催国 サーキット ベストL 決勝 周回 リタイア理由
1 オーストラリア メルボルン 22 17 4 1’35.877 7 57/57 完走
2 ブラジル インテルラゴス 22 19 8 1’21.598 8 69/72 完走
3 サンマリノ イモラ 22 20 13 1’31.587 29/62 油圧
4 モナコ モナコ市街地 22 19 15 1’26.482 36/78 エンジン
5 スペイン カタルーニヤ 22 20 13 1’29.184 12 62/65 完走
6 カナダ ジル・ビルヌーブ 22 19 9 1’22.792 41/69 トランスミッション
7 フランス マニクール 22 20 11 1’22.664 失格 0/69 タイヤ規定違反
8 イギリス シルバーストン 22 19 16 1’32.442 16 58/60 完走
9 オーストリア A1リンク 22 20 15 1’15.361 25/71 エンジン
10 ドイツ ホッケンハイム 22 22 16 1’50.286 15/45 エンジン
11 ハンガリー オンガロリンク 22 21 20 1’25.483 26/77 ドライブシャフト
12 ベルギー スパ・フランコルシャン 22 19 0/77 クラッチ
13 イタリア モンツァ 22 22 13 1’29.216 35/53 スピンオフ
14 ルクセンブルグ ニュルブルクリンク 22 21 14 1’24.848 42/66 スピンオフ
15 マレーシア セパン 22 22 13 1’46.441 65/67 完走
16 日本 鈴鹿 22 19 15 1’46.150 43/53 ギヤボックス
この年でF1からは撤退し一旦はフォーミュラ・ニッポンへ戻る。
圧倒的強さを見せたがマシンが彼の未レイナードの最新型であったということがあったため、ちょっと疑問符が付く部分もあるがすさまじく速いという結果だけは間違いなく残した。
その後BARと交渉を持とうとするが相手にされずインディへ。
インディでは速いドライバーという評価も得たが大事故に巻き込まれその後レースから引退している。
恵まれた場所にいつつもマネジメントは大失敗であったということだろう。
残念だ。