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 F1 日本人ドライバー列伝 片山右京(1992-1997) F1パワー・フォース 
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片山右京 カミカゼウキョウ。1994年世界にその名を轟かす。
 なんだかんだで私の一番好きなドライバーです。F1では結果としてはたいした成績は残らなかったけれども本当に車がよかったときの彼の凄さはなんともいいようがなく本当にすごかった。表面的な凄さは当然のことながら1994年になるでしょう。イタリアGPではレースの間に2度にわたり1998、99年のワールドチャンピオン、ミカ・ハッキネンをオーバーテイクし、ハッキネンに「なんなんだあの日本人は!」と言わしめたりもしている。だがもしかすると本当に凄かったのは1997年のミナルディ時代なのかもしれない。部品はろくにない、まともな部品やスタッフは同僚のイタリア人ヤルノ・トゥルーリに全部持っていかれる、車は予選すれすれまで作ることができないといったふざけた状況の中必ず予選は通るは、開幕戦に至っては当時のオーナーのジャンカルロ・ミナルディに言わせるとポールポジションに匹敵する!とまで言わせた当時のミナルディでは考えられない予選順位。その他もろもろ。この時が彼の本当の凄さが出た時なのかもしれない。普通なら予選落ちしそうな状況のときでも、当時BBCの解説をしていたマーティン・ブランドルには「彼は絶対になんとかする。」と断言され引退宣言をした時には「彼は間違いなくF1サーカスの一員だったとまでいわしめている。F1では本当に恵まれない状況で走ったが1999年のルマンでは当時までの近代ルマンにおける最速ラップをマークしBMWの妨害がなければあわや優勝という走りを見せ付けている。現在は登山家が主になっているようだがその相変わらずのクレイジーさは誰にも負けないユニークなものだ。
 片山右京選手は1983年筑波FJ1600B選手権でレースに初めて参戦しなんといきなりポール・トゥ・ウィンそしてそのままチャンピオンになる。「俺は天才かと思った」というのがかれの当時の言葉だ、1984年はFJ1600A選手権で王者、翌年は全日本F3に参戦ランキング6位、なんとその翌年にはパスポートも持たず空港で「パリ行き1枚」とのたまわり、いきなり言葉も話せないままフランスに渡った。そしてフランスF3選手権に参戦。1986年、1987年に参戦するも資金なしでは続かず1988年には日本に戻ることになった。ただしこのフランス時代はちょうどあの
ジャン・アレジなども参戦するなど結構ハイレベルな戦いではあったようだ。そのうえ右京選手レース中大クラッシュ、地元新聞には「右京死亡」とまで出るようなF1でも見られたような超アグレッシブな走りを見せていたようだ。1988年89年は全日本F3000に参戦。1989年にはあわせて国際F3000にも参戦した。1990年からは全日本F3000に専念しランキング5位、翌1991年にはとうとうタイトルを獲得し1992年からのF1参戦を決定付けた。実際には1990年にヤマハ・エンジンのテストドライバーとしてブラバムBT58を使いF1マシンをドライブしている。(初テストは1990年7月16日菅生サーキット)初参戦の1992年ラルースの時のマシンはラルース・ランボルギーニLC92。カナダGPで終盤まで5位を走り入賞かと思われたがマシントラブルでリタイア。鈴鹿でニコラ・ラリーニがドライブするフェラーリをコース上で見事に追い抜いた時がこのシーズンの最高の見せ場だったのかもしれない。翌1993年はマシンがぼろぼろのティレルで参戦。この時のマシンは完全に中古車の上開発に失敗したためまともに走らずイタリアGPでは一時7位を走るが・・・・・。しかし翌年1994年は右京が見せに見せた年だった開幕戦でいきなり5位入賞するとその後とにかく速い速い。しかしサンマリノGPにおいて一時2位走り5位入賞するもののアイルトン・セナの死に隠れ全く目立たず終わってしまった。2004年に佐藤琢磨選手に破られるまで日本人最高の予選順位5位をマークするものもエンジントラブルで終わってしまった。結局は5ポイントで終わるものの翌年の契約をベネトンからオファーされるものの何故かティレルに義理を感じ残留。1995年からはマシンが合わずそのうえスポンサー関係で冷遇され始め全く不振状況になり1997年には行き場をなくしミナルディから参戦。しかし日本GPにおいて引退を宣言。惜しまれながらF1から去った。現在は登山家券国内レースではオーナーとしてチームを率い参戦。メインは何か不明なもののサファリ・ラリーには冒険家の血が騒ぎ参戦している。いつまでもカミカゼであり続ける男だ。
各年成績 1992 1993 1994 1995 1996 1997